週刊アスキー 紙媒体から撤退

創刊時アスキー契約社員でした(すぐに契約を解除されましたが)。創刊当初は普通の雑多な情報を載せた総合週刊誌で、コンピューター系出版社というイメージからの脱却を謀ったものの数号で見事に玉砕。仕方がないので堅調だったEYE-COMを急遽週刊化して、その窮余の策がなんとか上手くいったという昔話があります。実質は「週刊EYE-COM」だったわけです。

記憶に残っているのは、初代週刊アスキーの創刊準備号の表紙が広末涼子でプレミアがついて、争奪戦になったというどうでもいいことと、EYE-COMを週刊アスキーとする際に、印刷会社を初代の担当であった共同印刷と、EYE-COMの印刷会社であったDNPのどちらが担当するかで、二社間で壮絶な争いがあったことです。結果は営業力で押し切ったDNPに決まったのですが、その時の共同印刷の担当営業者の落ち込みぶりが見ていられないぐらい痛々しかったです。
基本的に一度もEYE-COM時代の誌面フォーマットを変えることなく、ここまで押し切ったのがよかったのか悪かったのか、今となってはよくわかりません。

電脳なをさん

電脳なをさん